佐藤電機の沿革

story
創業ストーリー

佐藤電機が今まで歩んできた道。
そして、そこから生まれた考え方。

第零創業期

  • 佐藤電機の始まりは、創業者である佐藤重夫氏が、戦後の復興時期にトランジスタラジオの販売をしていたことである。日本が戦争を終えて物資が不足していた当時、ラジオを自らの手で製作・修理をして販売をする事業は、市場のニーズと合致しており、日本の復活と共に伸びていった。

    ラジオの製作で身に着けた電気技術の知識は、次第にラジオだけでは収まらなくなり、佐藤電機の事業の幅は徐々に広がっていくことになる。東大阪市の地場工場を廻り電気設備(変電室など)の保安、保全業務の依頼が徐々に増え、現場へ出向き、職人と一緒に現場作業をしていた。

設立時(昭和34年)

  • 佐藤重夫氏の想いは個人の事業では収まらないものになっていた。自身の生計を立てていくだけではなく、企業として大きくしていきたいという志を持つようになっていた。時代は高度経済成長期、日本の急速な成長に合わせて、世の中の建設に対する投資も増え、会社の業績を伸ばすことができた。昭和34年、佐藤重夫氏は佐藤電機株式会社を創業。法人化を通して本格的な事業として立ち上げることとなる。

    当時の仕事は、工場の変電室の改修、増設、保安業務といったものであり、社員の募り方はスポーツ新聞の求人欄に投稿し、職人(現場作業員)を集めていた。

第一創業期

佐藤電機の第一創業期は、法人化を遂げてから二代目社長への交代の時までであり、日本が成長をしていく時代を背景に企業として成長をしていった期間である。工場の工事にあわせて、この時期にスタートしたのが大和ハウス工業とのつながりである。
大和ハウス工業との取引は、現在の佐藤電機の業績を支える大きな存在であるが、取引開始当初は監理業務ができる人材がいなく、1現場を対応するにも四苦八苦していた。しかし、そのような時期に、あきらめるのではなく、自社で技術を内製化させる方針を取ったことが、現在の佐藤電機の技術力につながっている。

  • 苦労をしながらも、着実に成長をしていった平成2年。現社長である佐藤賢治が入社する。前職は大和ハウス工業㈱建築事業部所属(大阪本社2年半、広島支店3年在籍)をしており、元請企業として工事現場にどのように向き合ってくるのかをみてきた。重夫氏が65歳を過ぎ体力的にも限界を感じ、後継が必要となって来たことが入社した大きな決め手であった。

    入社して賢治氏が最初に思ったことが「多数ある電気設備工事業者の中から、お客様に選んで頂ける会社」にしていきたいというものであった。しかし、現場を見てみると技術者集団としては誇らしい能力があるものの、全員が孤立し(一匹狼的)会社組織として確立されていなかった。

    社長交代を迎えるまでの時期、賢治氏は会社の組織化に注力することとなる。

第二創業期

  • 佐藤賢治氏が社長に就任した平成13年、佐藤電機の第二創業期がスタートする。社長として経営の実権を握ることとなった賢治氏は入社当時からの想いをより具体的な行動として起こしていくこととなる。

    最初に取り組んだことが、社員の意識改革であった。多数ある電気設備工事業者の中から、お客様に選んで頂ける会社にするためにも「謙虚な気持ち」「感謝する気持ち」から始めようと基本方針を掲げ、社員に目標と行動の重要性を伝え続けた。

    また、現場業務の効率化を実現させるため、会社の組織体制も変革させる。監理業務(施工図作成)、設計部、積算部と役割分担をはっきりさせることにより、現場業務の効率化を実現。今までの保有現場数の限界を超えることに成功した。

    一方で、すべてが順風満帆であったわけではない。監理業務を担当者にまかせっきりになり、個人の技術レベルにより、現場の工事の遅れを気付いた時には手遅れ状態となり、無駄な工数と費用をかけなければいけない現場もあった。

    姿勢と体制の構築、技術のレベル、それぞれを先走りすぎたり、後れを取ったりという試行錯誤を繰り返す日々であった。しかし、挑戦する姿勢を崩すことがなかったため、佐藤電機は着実に成長を遂げていた。

第三創業期

  • そのような成長を遂げてきた佐藤電機であったが、今までの延長線上の成長ではいけないという状況になってきた。それは少子高齢化、人手不足といった時代背景によるものである。
    建設業の3Kのイメージ悪化により若手技術者が集まらないという事象が生まれ始めた。今まで通りの取り組み、今まで通りの成長の仕方、組織強化の仕方では、強い組織はできるかもしれないが、人が寄りつかなくなってしまう。人がいなければ何もできない、だからこそ、今までの成長の仕方に疑問符を投げかけなければならなくなった。
    そして、出た答えが「規模を追求せず、若手技術者が集まり育つ環境作り(仕事作り)にチャレンジすること」である。佐藤電機が新たな成長戦略に舵を切ったとき、第三創業期が始まる。

    環境作りの一環で取り組んだことが、より多様な働き方を受け入れられる体制づくりである。ワークライフバランス、働き方改革により残業時間削減に取組む上で個人の仕事を細分化し分業化の推進に着手し始めた。また、採用活動も今までの中途採用だけではなく、新卒採用にも注力し、将来の佐藤電機を引っ張る人員確保に取り組んでいる。

    仕事作りという観点では、1社依存率が95%であった過去の状況を変えることが急務であったため、新規事業にも積極的に挑戦した。その中の一つが省エネビジネスであった。東北大震災の原発事故をきっかにエネルギーの大転換時代の到来といった時代背景を見極め、着手に至った。

    佐藤電機は、常に時代の流れに合わせ、成長分野を創出し、社会に価値を提供している。インフラを支える電気工事で社会貢献を果たすことが我々のミッションなので。新3K(かっこいい、かせげる、かんどうがある)を本気で目指し、これからも成長をしていく。

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